「ご家族の方はいらっしゃいますか」。病院の受付で、あるいは施設の面談室で、その一言に胸がざわつきます。同性カップルとして長く暮らしてきた人ほど、この場面を何度も想像したことがあるはずです。もし明日、パートナーが脳梗塞で倒れて、話すことも書くこともできなくなったら。あなたは、なんと答えるでしょうか。
怖いのは「入れてもらえないこと」だけではありません。判断能力が失われた瞬間から、その人の預金口座は事実上動かせなくなり、施設の入所契約も、家の管理も、誰かが代わりに決めなければ前に進まなくなります。そして日本の法律は、その「誰か」を戸籍でしか選びません。何十年連れ添っていても、同性のパートナーは順番の外にいます。
この行き止まりを、自分たちの意思で先回りして塞ぐ方法が、任意後見契約です。ただし、これ一本ですべてが守れるわけでもありません。この記事では、任意後見でできること・できないこと、最新の費用と手続き、遺言や死後事務委任との使い分け、2026年6月に成立したばかりの法改正まで、同性カップルの現実に沿って整理します。
なぜ同性カップルにとって、任意後見が「最初の一手」なのか
任意後見は、判断能力があるうちに「将来、判断能力が落ちたら、この人に自分のことを頼む」と決めておく契約です。老後の備えというより、権限の空白を先に埋めておく作業に近いものです。同性カップルにとってこれが特別な意味を持つ理由は、三つあります。
パートナーには、法定後見を申し立てる資格すらない
判断能力が落ちてから使う制度が、法定後見(後見・保佐・補助)です。家庭裁判所が後見人を選びます。ところが、その申立てができる人は民法7条などで決まっていて、本人・配偶者・四親等内の親族・検察官、それに市区町村長などに限られます。同性パートナーはここに入りません。20年一緒に暮らしていても、あなたには家庭裁判所の扉を叩く資格がないのです。
結果として何が起きるか。誰も申立てをしないまま口座が凍結されて生活が回らなくなるか、あるいは何年も連絡を取っていなかった親族が申立てをして、その親族や見知らぬ専門職が後見人になります。後見人には財産管理と身上保護の広い権限が与えられるので、同居している家の扱いも、施設の選び方も、その人の判断で決まっていきます。パートナーであるあなたは、意見を言う立場にはなれても、決める立場にはなれません。
任意後見契約は、この構図をひっくり返します。契約の相手方(任意後見受任者)になった人は、任意後見契約に関する法律4条1項によって、家庭裁判所に任意後見監督人の選任を申し立てられます。条文はこの申立権者を「本人、配偶者、四親等内の親族又は任意後見受任者」と書いていて、続柄ではなく契約上の立場で資格を与えています。つまり、契約を結んだ時点で、パートナーは「裁判所に申し立てられる人」に変わります。法定後見では絶対に手に入らない立場が、公正証書一通で手に入る——ここが決定的です。
契約があれば、親族の申立てより本人の意思が優先される
もう一つ、あまり知られていない効き目があります。任意後見契約が登記されている場合、家庭裁判所は「本人の利益のため特に必要があると認めるときに限り」法定後見を開始できます。同法10条1項です。
これは実務上、かなり強い盾になります。判断能力が落ちたあとに親族が突然現れて法定後見を申し立てても、すでに任意後見契約が登記されていれば、家庭裁判所は原則としてそちらを尊重します。本人が元気なうちに自分で選んだ人がいる以上、その意思を上書きするには特別の理由が要る、という考え方だからです。同性パートナーが締め出される典型的なパターンは「疎遠だった親族が法定後見を申し立てる」ことですが、契約が登記されていれば、その入口自体が狭くなります。
ただし、絶対ではありません。本人に取消権による保護が必要な場合など、家庭裁判所が特に必要と判断すれば法定後見が始まります。そして現行法では、発効後に法定後見が開始されると任意後見契約は終了します(同法10条3項)。この点は2026年の法改正で変わる予定なので、後ほど詳しく触れます。
使っている人は、全国で2,833人しかいない
制度としての知名度は、正直まだ低いままです。最高裁判所事務総局家庭局の成年後見関係事件の概況(令和7年1月〜12月)によると、2025年の1年間に家庭裁判所へ申し立てられた成年後見関係事件は43,159件。そのうち任意後見監督人の選任申立ては、わずか881件でした。
利用者数で見ると、もっとくっきりします。2025年12月末時点で成年後見制度を使っている人は全国で259,901人。うち任意後見は2,833人で、全体の約1%です。残りの99%は、判断能力が落ちてから家庭裁判所が後見人を決める法定後見。裏を返せば、「自分で相手を選んでおく」という選択肢を使えている人がほとんどいないということでもあります。
この数字は、同性カップルにとっては読み方が変わります。法定後見のルートが最初から閉ざされている以上、事前に契約を結んでおくかどうかで、結果が正反対になるからです。多数派が使っていない制度が、少数派にとっては生命線になる——任意後見はまさにそういう制度です。
任意後見契約が約束するもの
名前は堅いのですが、中身は「委任契約に条件をつけたもの」です。ふつうの委任契約と違うのは、公正証書でしか結べないこと、国に登記されること、そして効力の発生に家庭裁判所が関わることの三点です。順に見ていきます。
判断能力があるうちに、公正証書で結ぶ
任意後見契約に関する法律3条は、この契約を「法務省令で定める様式の公正証書によってしなければならない」と定めています。当事者だけで作った書面や、私文書として作った契約書では効力が生まれません。公証役場で、公証人が本人の意思と判断能力を確認したうえで作成します。
作成されると、公証人の嘱託で東京法務局に後見登記がされます。日本公証人連合会の任意後見契約の解説にあるとおり、この登記があることで、後日パートナーが銀行や施設の窓口で「登記事項証明書」を出せば、自分の代理権を客観的に証明できます。同性カップルにとっては、関係を一から説明しなくても済む書類が国の記録として存在する、という意味合いも小さくありません。窓口の担当者が制度を知らなくても、証明書は制度の言葉で話してくれます。
効力が生まれるのは、監督人が選ばれたとき
契約書に署名した日から、パートナーがあなたの財産を動かせるようになるわけではありません。任意後見契約は、家庭裁判所が「任意後見監督人」を選任した時点ではじめて効力を持ちます(同法2条1号)。契約書の中に、そう定めることが法律上の条件になっています。
判断能力が落ちてきたと感じたら、任意後見受任者であるパートナーが家庭裁判所に監督人選任を申し立てます。医師の診断書を添えて申し立て、家庭裁判所が弁護士や司法書士などの専門職を監督人に選ぶ——この瞬間から、パートナーは「任意後見人」になります。監督人が必ずつくのは、本人が意思表示できない状態で他人が財産を扱う以上、当然の歯止めです。ここを「余計な第三者」と受け取るか「関係を疑われないための後ろ盾」と受け取るかで、この制度の見え方はだいぶ変わります。実際、親族から「勝手に財産を使い込んでいるのでは」と疑われた同性パートナーにとって、家庭裁判所が選んだ監督人の存在は身を守る材料にもなります。
なお、本人以外が申し立てる場合は、あらかじめ本人の同意が必要です(同法4条3項)。判断能力がまったく失われて意思を示せないときは例外扱いになりますが、余裕をもって備えておくほど手続きは素直に進みます。
三つの型がある。同性カップルには「移行型」が現実的
実務では、契約の設計は大きく三つに分かれます。判断能力が落ちたときに備えるだけの「将来型」、いま元気なうちから財産管理委任契約をセットで結んでおき、判断能力が落ちた段階で任意後見へ切り替える「移行型」、すでに判断能力が衰えはじめている人が結んですぐ発効させる「即効型」です。
同性カップルの場合、移行型を選ぶ人が多くなります。理由は単純で、困りごとが「判断能力を失ったとき」だけに起きるわけではないからです。長期入院で本人が動けない、単身赴任で手続きに行けない、手術後で書類が書けない——こうした場面では判断能力そのものは残っているので、任意後見は発効しません。財産管理委任契約が併走していれば、その段階からパートナーが代わりに動けます。二階建てにしておくと、空白の時間が生まれにくくなります。
あわせて「見守り契約」を結んでおく人もいます。定期的に連絡を取り、判断能力の低下を早めに把握するための契約です。二人暮らしなら日常的に見ているので不要に思えますが、受任者を専門職にする場合や、二人とも同世代で同時に衰えていく可能性を考えると、意味を持ってきます。
何を頼めて、何は頼めないのか
ここを正確に理解しておかないと、契約したのに肝心なところで止まる、ということが起きます。任意後見人の権限は、契約書に添える「代理権目録」に書いた範囲だけです。書いていないことはできません。逆に、いくら書いても法律上できないこともあります。
頼めること
代理権目録に定めておけば、任意後見人は次のような行為を本人に代わって行えます。財産管理と身上保護の二本立てで設計するのが基本です。
- 預貯金の管理、入出金、口座の解約や名義変更の手続き
- 年金や各種給付の受領、公共料金・家賃・ローンの支払い
- 不動産の管理、賃貸借契約の締結・更新・解約
- 介護保険の申請、介護サービス事業者との契約
- 病院への入院契約、施設への入所契約とその費用の支払い
- 税金の申告・納付、行政機関に対する各種届出
抽象的に見えるかもしれませんが、実際の需要はきわめて具体的です。最高裁の同じ統計では、申立ての動機の93.4%が「預貯金等の管理・解約」、74.2%が「身上保護」、45.7%が「介護保険契約」、36.3%が「不動産の処分」となっています。将来不安というより、目の前で口座が動かせなくなる、契約書に署名する人がいない、という詰まりから制度が使われています。同性カップルが直面する詰まりも、性質はまったく同じです。
頼めないこと
一方で、代理権目録に書いても任意後見人にはできない領域があります。まず、手術や延命治療といった医療行為への同意です。身体への侵襲をともなう医療の同意は本人だけが持つ権利とされていて、成年後見人にも任意後見人にも同意権はありません。任意後見人にできるのは、医師の説明を本人と一緒に聞き、本人の意思を確かめ、意思決定を支える役回りまでです。
ここは同性カップルがいちばん怖がっている場面と重なるので、はっきり書いておきます。任意後見契約を結んでも、手術同意書に署名する権限は手に入りません。ただし現場の運用は、法律の建前だけで動いているわけでもありません。医療の同意まわりで実際に何が起きていて何が備えになるのかは、同性パートナーは手術の同意書にサインできる?入院・面会の現状と備えを解説で詳しく扱っています。任意後見契約書と登記事項証明書は、そこでも「関係を説明する材料」として効いてきます。
もう一つ、任意後見人には取消権がありません。法定後見の成年後見人は、本人が結んでしまった不利な契約を後から取り消せますが、任意後見人にはこの権限がないのです。訪問販売で高額な商品を買わされた、といったケースで打つ手が限られます。判断能力の低下が進んでいて悪質商法のリスクが高いなら、法定後見への切り替えを検討する場面もあります。婚姻や養子縁組といった身分行為も、本人にしかできません。
費用は、2025年10月から少し上がりました
ここは古い情報が流通しやすいところです。公証人手数料令が改正され、2025年10月1日から公証人手数料が改定されました。任意後見契約公正証書の基本手数料も上がっています。いまも「11,000円」と書いてある解説記事が残っていますが、現在の金額は違います。
| 費目 | 金額 | 支払先 |
|---|---|---|
| 公正証書作成手数料 | 13,000円(1契約) | 公証役場 |
| 登記嘱託手数料 | 1,600円 | 公証役場 |
| 登記所に納める印紙代 | 2,600円 | 法務局 |
| 正本・謄本の作成手数料 | 書面は1枚300円 | 公証役場 |
| 書留郵便料 | 実費 | 公証役場 |
金額の根拠は日本公証人連合会が公表している任意後見契約公正証書の費用です。証書を紙に印刷したときの枚数が3枚を超えると1枚につき300円が加算されるので、代理権目録を細かく作り込むと少し増えます。それでも、二人が互いを受任者にして2通作る場合でも、実費の総額は4万円前後に収まるのが一般的です。移行型で財産管理委任契約も同時に結ぶ場合は、その契約分の手数料が別に加わります。
発効させる段階でも費用がかかります。家庭裁判所に任意後見監督人の選任を申し立てるときは、申立手数料として収入印紙800円、登記手数料として収入印紙1,400円、それに郵便切手代が必要です。法定後見のうち後見・保佐では医師の鑑定が原則として求められますが、任意後見監督人の選任では鑑定は不要で、医師の診断書で足ります。そのぶん負担は軽く、期間も短く済みます。
見落としやすいのは、契約を結ぶときの費用ではなく、発効した後に毎月かかる費用のほうです。任意後見監督人には報酬が発生し、家庭裁判所が本人の財産から支払う額を決めます。東京家庭裁判所が公表している「成年後見人等の報酬額のめやす」では、監督人の基本報酬は管理財産額が5,000万円以下なら月額1万円〜2万円、5,000万円を超えるなら月額2万5,000円〜3万円とされています。年間にすると12万円から36万円。発効から本人が亡くなるまで続くので、10年続けば百万円単位になります。ここを織り込まずに設計すると、後から家計を圧迫します。
費用面で見逃せないのが自治体の助成です。渋谷区は、パートナーシップ証明書取得助成金として、任意後見契約公正証書または合意契約公正証書の作成費用を上限56,000円まで補助しています(合意契約公正証書のみの特例は15,000円)。2020年11月1日以降にパートナーシップ証明書を取得した人が対象で、一組につき一度きり。作成実費のほとんどが戻る計算になるので、渋谷区に住んでいるなら使わない手はありません。
手続きは五つのステップで進みます
実際の流れは、思っているより淡々としています。公証役場に行く回数は、事前相談を含めて2回程度が目安です。
- 二人で話し合い、誰に何を頼むかを決める。財産の棚卸しをして、代理権目録に載せる項目を洗い出します。
- 公証役場に事前相談し、原案を作る。同性カップルであること、移行型にしたいことなどをこの段階で伝えます。
- 必要書類をそろえる。本人と受任者の印鑑登録証明書、戸籍謄本、住民票などが、いずれも発行から3か月以内のものです。
- 公証役場で公正証書を作成する。二人そろって出向き、公証人の面前で署名押印します。作成後、公証人が東京法務局へ登記を嘱託します。
- 判断能力が落ちてきたら、受任者が家庭裁判所へ任意後見監督人の選任を申し立てる。監督人が選ばれた時点で、契約が効力を持ちます。
ステップ4までを元気なうちに済ませ、ステップ5は必要になるまで動かさない——それが本来の使い方です。厚生労働省の成年後見はやわかりでも、手続きが「契約の締結」と「監督人選任の申立て」の二段階に分かれていることが図で示されています。ここを一続きだと誤解していると、「契約したのに何も変わらない」と戸惑うことになります。
任意後見だけでは埋まらない、三つの穴
ここからが、多くの解説記事が駆け足で済ませてしまう部分です。任意後見契約は強力ですが、守備範囲がはっきり決まっています。同性カップルが本当に困る場面のうち、任意後見でカバーできるのは実は一部でしかありません。
穴その一:医療の同意
先に触れたとおり、医療同意は任意後見の範囲外です。この穴を埋めるのは、契約書ではなく本人自身の意思表示になります。判断能力があるうちに、延命治療の希望や、病状説明を誰に聞かせてほしいかを書面に残しておきます。医療機関によっては独自の様式を用意しているところもありますし、公正証書として残す人もいます。かかりつけの病院に、あらかじめパートナーの存在を伝えておくことも実効性があります。
穴その二:亡くなった瞬間、契約は終わる
任意後見契約は委任契約なので、本人が亡くなれば民法653条によって終了します。つまり、葬儀の手配も、遺体の引き取りも、賃貸住宅の解約も、携帯電話やサブスクリプションの停止も、任意後見人としては何もできません。ここが空白のままだと、疎遠だった親族が現れて葬儀を仕切り、パートナーが火葬に立ち会えないという事態が現実に起きます。
この穴を埋めるのが死後事務委任契約です。最高裁判所は平成4年9月22日の判決で、委任者の死亡によっても契約を終了させない旨の合意は有効だと判断しました。この判例を土台に、葬儀・埋葬・遺品整理・行政手続き・各種契約の解約といった死後の事務を、生前にパートナーへ託しておけます。任意後見契約と同じ日に、同じ公証役場で一緒に作るのが実務では一般的です。
費用の見通しも立てやすくなりました。2025年10月の改定で、死後事務委任の手数料が公証人手数料表に明記され、報酬の定めがない場合は6,500円とされています。報酬を定める場合は、その額をもとに計算します。任意後見契約とセットで作っても、公証役場に払う実費は数万円の範囲に収まります。パートナーに葬儀を託せるかどうかが、この金額で決まると考えれば、優先順位は高いはずです。
穴その三:財産はパートナーに渡らない
任意後見人は本人の財産を管理する立場であって、受け取る立場ではありません。本人が亡くなれば、財産は法定相続人へ渡ります。子がいれば子へ、いなければ親、それもいなければ兄弟姉妹へ。同性パートナーは何十年連れ添っていても相続人になれないので、一緒に暮らしてきた家すら失いかねません。
ここを埋めるのは遺言です。公正証書遺言でパートナーへの遺贈を定めておけば、法定相続人の遺留分を除いた範囲で財産を渡せます。住まいを守るなら、任意後見よりも先に手を打つべき順番かもしれません。相続と住まいの関係は、同性パートナーと相続~LGBTsが住宅を購入したあとの対策~で、遺留分や相続税の扱いまで含めて整理しています。
四つの書面が、それぞれどの時間帯を守るのか。並べると役割の違いがはっきりします。
| 書面 | 守る場面 | 効力が生まれるとき | 公正証書 |
|---|---|---|---|
| 財産管理委任契約 | 入院・けがなどで動けないとき | 契約したとき(内容による) | 任意 |
| 任意後見契約 | 判断能力が落ちたとき | 監督人が選任されたとき | 必須 |
| 死後事務委任契約 | 亡くなった直後の手続き | 本人が亡くなったとき | 任意(推奨) |
| 遺言 | 財産をパートナーへ渡すとき | 本人が亡くなったとき | 任意(推奨) |
四つ全部を一度に作るとなると気が重くなりますが、公証役場で一括して相談すれば、同じ打ち合わせの延長で組み立てられます。優先順位をつけるなら、持ち家があって住まいのリスクが大きいカップルは遺言から、介護や認知症が視野に入ってきた年代は任意後見から始めるのが自然です。
2026年6月の法改正で、任意後見はこう変わります
この制度は、いま大きな転換点にあります。2026年6月17日に「民法等の一部を改正する法律」(令和8年法律第45号)が成立し、6月24日に公布されました。成年後見制度が2000年に始まって以来、26年ぶりの抜本的な見直しです。法定後見については、後見と保佐を廃止して補助に一元化し、必要な期間だけ使えるようにする内容が柱になっています。施行は公布から2年6か月を超えない範囲で政令が定める日なので、実際に動き出すのは2028年ごろの見込みです。
そして法務省が公表している改正の概要には、任意後見制度についての見直しも含まれています。同性カップルの備え方に直接効いてくる変更が三つあるので、順に見ていきます。
監督人が必ずつくとは限らなくなる
いまは、任意後見を発効させるには任意後見監督人の選任が必須です。改正後は、家庭裁判所が「明らかに任意後見監督人による監督の必要がない」と認めるときには、監督人を選任せず、家庭裁判所が直接監督するという運用が可能になります。
これは費用の話に直結します。先ほど触れたとおり、監督人報酬は年12万円から36万円が目安で、発効から亡くなるまで続きます。この負担が、任意後見に踏み切れない理由になっていたケースは少なくありません。監督人が不要と判断される場面がどこまで広がるかは運用次第ですが、少なくとも「必ず専門職の報酬が発生する」という前提は崩れます。
次の受任者を決めておける/発効の申立てを他人に託せる
いまの制度には、パートナーである受任者が先に亡くなったり、自分自身が病気になったりした場合の備えがありません。改正後は、本人と任意後見受任者の間で「契約の効力を発生させる順序」を定める合意ができるようになります。第一順位はパートナー、その人が動けなければ第二順位はこの人、という設計が可能になるわけです。二人とも同世代で、同じ時期に衰えていく可能性がある同性カップルにとって、これは実務的な意味が大きい変更です。
もう一つ、発効させる裁判手続の申立てについても間口が広がります。現行法では申立てができるのは本人・配偶者・四親等内の親族・任意後見受任者に限られますが、改正後は本人が公正証書で指定した人も申立てができるようになります。親族以外でも、自分の生活状況を把握している友人やコミュニティの仲間に、この役割を託せる——血縁の外に人間関係の重心がある人にとって、これは制度の作りそのものが現実に寄ってきたということです。
あわせて、法定後見(補助)の利用を始めても任意後見契約が終了せず、存続できるようになります。現行の「法定後見が始まったら任意後見は終わる」というルールが変わるので、取消権が必要になったから法定後見も使う、けれどパートナーとの任意後見契約は残す、という組み合わせができるようになります。
いま結ぶ契約にも、改正後の法律が適用される
「では2028年まで待ったほうがいいのでは」と思うかもしれませんが、そうではありません。改正法の附則6条は、施行日より前に結ばれた任意後見契約についても改正後の任意後見契約法を適用すると定めています(旧法のもとで生じた効力は維持されます)。
つまり、いま公正証書を作っておけば、その契約は施行後に改正のメリットをそのまま受け取ります。待つ理由はなく、待っているあいだに判断能力を失うリスクだけが残ります。改正が控えているという事実は、先送りの根拠ではなく、いま動く根拠です。
住まいを、どう契約に織り込むか
不動産を扱ってきた立場から、ここは特に丁寧に設計してほしいところです。二人で暮らす家は、任意後見が発効した瞬間から「本人の財産」として管理の対象になります。誰がどこまで決められるかを曖昧にしたまま契約すると、住み続けられるかどうかが後から揺らぎます。
パートナー名義の家に住み続けるための一文
本人が施設に入ることになったとき、自宅を売って費用に充てるという判断が出てきます。法定後見なら、居住用不動産の処分には民法859条の3で家庭裁判所の許可が必要です。ところが、この規定は任意後見人には適用されません。代理権目録に「居住用不動産の処分」を入れておけば、家庭裁判所の許可を得ずに任意後見人の判断で売れてしまう設計もあり得ます。
だからこそ、契約書の作り込みが効きます。実務では、居住用不動産の処分や一定額を超える支出について「任意後見監督人の書面による同意を要する」という条項を入れておくのが一般的です。二人の家であれば、そもそも売却しないという方針を契約書に書き込むこともできます。逆に、自分が施設に入ったら家を売って費用に充ててほしいと考えているなら、それを明記しておかないと、パートナーが動けません。公証人との打ち合わせで、家をどうしたいかを具体的に伝えてください。ここを口頭の了解で済ませないことが、いちばんの備えになります。
ローンや賃貸の現場では、すでに任意後見が使われている
意外に知られていませんが、任意後見契約は「老後の話」に閉じていません。同性カップル向けの住宅ローンでは、合意契約公正証書とあわせて任意後見契約公正証書の提出を条件にしている金融機関があります。二人で家を買う段になって「公正証書が要る」と初めて知り、慌てて公証役場を探す人は珍しくありません。金融機関ごとの条件は【同性カップルの住宅購入方法】同性カップルが使える住宅ローンとは?にまとめています。
自治体の制度でも同じです。渋谷区のパートナーシップ証明は、区の条例にもとづく制度として、任意後見契約公正証書と合意契約公正証書の二通を用意することを求めています。全国の多くの自治体は宣誓書を提出する方式なので、公正証書まで求める渋谷区型はむしろ例外的です。制度ごとの違いはパートナーシップ制度とは?結婚との違いを解説|何ができる?何ができない?で確認できます。パートナーシップ制度そのものはMarriage For All Japanの導入自治体データベースによれば563自治体、人口カバー率93.71%まで広がりましたが、法的な効力の面では任意後見や遺言が担う部分が今も大きいままです。
もし別れたら、この契約はどうなるのか
ここを説明しない解説が多いので、正面から書きます。任意後見契約を結ぶのをためらう理由として、実際いちばんよく聞くのが「別れたときが怖い」という声だからです。結論から言えば、解除できます。ただし、発効前と発効後でハードルがまったく違います。
任意後見監督人が選任される前、つまりまだ契約が効力を持っていない段階では、任意後見契約に関する法律9条1項によって、本人でも受任者でも、いつでも一方的に解除できます。条件は「公証人の認証を受けた書面」で行うことだけ。相手の同意は要りません。公証役場で内容証明郵便に認証をもらい、相手方へ送れば済みます。関係が続いているうちに結んでおいて、終わったら解除する——その程度の身軽さだと思って構いません。
いっぽう、監督人が選任されて契約が発効した後は、同条2項により「正当な事由」があり、かつ家庭裁判所の許可を得たときに限って解除できます。すでに本人の判断能力が落ちている状態なので、勝手に放り出せないのは当然です。もし任意後見人に不正な行為や著しい不行跡があれば、同法8条にもとづいて家庭裁判所が解任することもできます。監督人がいるのは、こういう場面のためでもあります。
つまり、別れのリスクを理由に契約を先送りするのは、順番が逆です。元気なうちに結んでおくほど解除は簡単で、先送りするほど「何も準備がないまま判断能力を失う」という一番重いリスクに近づいていきます。
いつ、誰と、どこまで結ぶか
任意後見は高齢者だけのものだと思われがちですが、備えの理由は年齢だけではありません。事故や脳血管疾患は年齢を選びませんし、同性カップルの場合は「法的な家族がいない」という条件が最初から重なっています。二人で家を買った、どちらかが持病を抱えている、親族と疎遠になっている——そのどれかに当てはまるなら、40代でも早すぎることはありません。
相手は基本的にパートナーですが、二人が同じタイミングで判断能力を失う可能性も考えて、予備的に信頼できる第三者を受任者に加える設計もあります。専門職に頼むと報酬が別途かかるので、そこは費用と安心のバランスです。老後にどれだけのお金が必要になるかを見積もったうえで判断したいなら、迫り来る老後、本当に自分は大丈夫か。LGBTsの老後に必要な金額は3550万円。が下敷きになります。万一のときに現金を残す手段としては、受取人にパートナーを指定できる保険という選択肢もあり、こちらはわかりやすい!同性パートナーの生命保険まとめで各社の対応を整理しています。
相談先は、公証役場のほか、成年後見に取り組んでいる司法書士会や弁護士会の窓口です。多くの公証役場では事前相談を無料で受け付けています。同性カップルであることを伝えて構いませんし、渋谷区の制度を通じて任意後見契約を作るカップルはすでに相当数いるので、公証人にとっても未知の依頼ではありません。窓口で気後れする必要はまったくない、ということは伝えておきます。
おわりに
任意後見契約は、愛情の証明書ではありません。淡々とした事務の書類です。それでも、この一通があるかないかで、パートナーが倒れた日の景色は変わります。銀行の窓口で立ち尽くすか、登記事項証明書を出して手続きを進められるか。施設の面談室で説明を求めるだけの人になるか、契約書に署名する人になるか。
制度が二人の関係に追いついていないのは、二人のせいではありません。それでも、追いつくのを待っているあいだに起きることは、自分たちで先回りできます。任意後見契約で判断能力を失った後を、死後事務委任契約で亡くなった直後を、遺言で財産の行き先を。三つを組み合わせれば、法律婚が用意している保護のかなりの部分は、自分たちの手で組み立て直せます。2026年の改正は、その組み立てを少しだけやりやすくしてくれます。
IRISでは、住まいのご相談の延長で、こうした契約や公正証書についてのご相談も受けています。家を買うとき、借りるとき、そして二人の将来を考えるとき。制度の話を、遠慮なく持ち込んでください。






