「老後の備えは、夫婦で2000万円」。テレビでも銀行の窓口でも、そんな数字を一度は目にしたはずです。けれど、その数字の裏にある前提を、じっくり考えたことはあるでしょうか。あの「2000万円」は、法律で結婚した夫婦を想定して作られた目安です。どちらかが亡くなれば遺族年金が残された側を支え、配偶者控除で毎年の税金は軽くなり、家や預金は自動的に相手へ引き継がれる——そういう「見えない安全網」があることを前提に、足りない分だけを積む計算になっています。

同性のパートナーと生きる二人には、その安全網がありません。法律のうえでは、何十年連れ添っても「赤の他人」のままです。だから同じ2000万円を貯めても、買える安心はまったく同じにはなりません。むしろ、備える順番も、使える制度も、まるで違ってきます。ここを知らないまま「みんなと同じ老後資金」を目指すと、いちばん肝心な場面で守りが足りなくなります。

この記事では、同性カップルの老後にいくら要るのかという話から、なぜ夫婦向けの常識がそのまま通じないのか、そして二人で使える具体的な備え、つまり年金や保険、遺言、住まいの整え方までを、順番に整理します。焦らせるためではなく、今日から動ける一歩を見つけるために。

「老後2000万円」は、そのままではあなたたちの数字ではない

そもそも2000万円という数字は、どこから来たのでしょうか。もとになったのは、金融庁が2019年にまとめた報告書「高齢社会における資産形成・管理」です。夫が65歳以上、妻が60歳以上の無職世帯をモデルに、公的年金だけでは毎月およそ5万円が足りず、それが30年続くと約2000万円の取り崩しになる、と示しました。あくまで一つのモデル計算で、実際の不足額はその年の家計調査や物価によって上下します。近年は物価が上がり、必要額はむしろ膨らむ方向にあります。

ここで見落とされがちなのが、この計算が「夫婦」を一つの財布として捉えている点です。片方が亡くなっても遺族年金が入り、家も預金も、残された側の生活を支えます。だからこそ「二人で2000万円」で足りる、という前提が成り立ちます。同性カップルの場合、この前提がまるごと外れます。年金の記録も、資産の名義も、税金の扱いも、二人はどこまでいっても「別々の独身者」として計算されるからです。

つまり同性カップルの老後は、独身者の老後を二つ並べたうえに、住まいや介護は二人で支え合う——という少し特殊な設計になります。必要額の全体像そのものは、LGBTの老後に必要な金額を試算した記事でも触れていますが、大切なのは総額よりも「片方に何かあったとき、残るお金がきちんと相手に届くか」です。次章から、その届き方をふさいでいる制度の壁を一つずつ見ていきます。

同性カップルの老後に効いてくる、三つの制度の壁

結婚している夫婦なら意識すらしない仕組みが、同性カップルには「使えない」という形で立ちはだかります。老後に効いてくる壁は、大きく三つあります。遺族年金、税金、そして相続です。順番に見ていきます。

壁1:遺族年金が出ない

会社員だったパートナーが亡くなったとき、法律婚の配偶者なら遺族厚生年金を受け取れます。残された側の暮らしを、国の年金が下支えする仕組みです。ところが同性パートナーは、この対象に入りません。年金でいう「配偶者」には婚姻届を出していない事実婚も含まれますが、社会保障の運用では、いまも同性の関係は事実婚と認められていないためです。

状況は少しずつ動いています。2024年3月、最高裁は犯罪被害者給付金をめぐる裁判で、同性パートナーも「事実婚と同様の事情にあった者」に当たり得ると初めて判断しました。これを受けて政府も、2025年にかけて事実婚向けの一部の法令で同性パートナーを対象に含み得るとの解釈を示しています。それでも、遺族年金などの社会保障の中心は、まだ対象外のままです。片方が先立てば、もう一方に、国からの遺族年金は基本的に入りません。老後の設計では、まずこの前提から出発する必要があります。パートナーシップ制度を使っても遺族年金は動かないという点は、パートナーシップ制度でできること・できないことを整理した記事でも確認できます。

壁2:税金の優遇が使えない

結婚した夫婦には、生きているあいだも亡くなったあとも、税の優遇がついて回ります。毎年の所得税では配偶者控除、相続のときは配偶者の税額軽減。この軽減は、配偶者が受け取る遺産なら1億6000万円までは相続税がかからない、というほどの大きな仕組みです。けれど同性パートナーは、そのどちらも使えません。所得税の配偶者控除も、相続税の配偶者の税額軽減も、法律上の配偶者に限られているからです。

さらに重いのが、相続税の「2割加算」です。亡くなった人の配偶者・子・親以外が財産を受け取ると、相続税額に2割が上乗せされます。同性パートナーはこの対象になります。生命保険で残したお金にも壁があります。死亡保険金には「500万円×法定相続人の数」まで非課税になる枠がありますが、受取人が法定相続人でない同性パートナーだと、この枠は使えず全額が課税対象です。同じ額を残しても、手元に届くまでに削られる分が、夫婦より大きくなります。これが二つ目の壁です。

壁3:何もしなければ、パートナーには相続されない

三つ目が、いちばん見過ごされがちで、いちばん怖い壁です。想像してみてください。二人で三十年ローンを組んで買ったマンションで、片方が先に亡くなります。四十九日も過ぎないうちに、ほとんど顔も知らない相手の弟から、部屋の名義について連絡が届く——。法律のうえで家を継ぐ権利を持つのは、長年連れ添ったあなたではなく、その弟のほうだからです。同性パートナーは法定相続人ではありません。遺言などの備えがないまま片方が亡くなると、二人で築いた預金も、一緒に暮らした家も、パートナーには一切渡らず、法律で決まった相続人のもとへ行きます。子がいれば子へ、子がいなければ親へ、親もいなければ兄弟姉妹へ、という順番です。

残されたパートナーが、住み慣れた家を離れざるをえない事態も起こります。そんな話は、決して極端な例ではありません。だからこそ、相続の備えは同性カップルにとって「余裕があれば」ではなく「土台」です。具体的な対策は、同性パートナーと相続について住宅購入後の対策をまとめた記事でも詳しく扱っています。ここまで見てきた違いを、夫婦と並べて整理すると次のようになります。

  法律婚の夫婦 同性カップル(現在)
遺族年金 受け取れる 受け取れない
配偶者控除・相続の税額軽減 使える 使えない
遺言がない場合の相続 自動的に配偶者へ パートナーには渡らない
相続税の2割加算 なし あり
入院時の同意・面会 家族として扱われる 書面がないと止まることがある

壁を並べると気が重くなるかもしれません。けれど裏を返せば、ここが「自分たちで埋められる」ポイントでもあります。夫婦が制度に任せている部分を、同性カップルは自分たちの手で設計します。次章では、その具体的な四つの備えを見ていきます。

二人で使える「四つの備え」を積む

制度が守ってくれないなら、守り方を自分たちで用意します。同性カップルの老後で効くのは、大きく四つあります。自分名義の資産形成、生命保険、遺言と任意後見、そして住まいです。どれも今日から準備を始められます。一つずつ見ていきます。

備え1:自分の年金を、自分の手で厚くする

遺族年金という後ろ盾がないぶん、同性カップルでは「自分の年金は自分で厚くする」意識がより大切になります。その柱になるのが、税制の優遇を受けながら老後資金を作れるiDeCoと新NISAです。

iDeCo(個人型確定拠出年金)は、掛けたお金が全額その年の所得控除になり、運用中の利益にも税金がかからず、受け取るときにも控除がある、老後資金づくりに特化した制度です。しかも2026年12月からは、加入できる年齢の上限がこれまでの65歳未満から70歳未満へ広がり、掛金の上限額も引き上げられます。働く期間が延びている今、長く積める意味は小さくありません。もう一方のNISAは、2024年から、生涯1800万円までの非課税投資枠を使える制度に生まれ変わりました。iDeCoが原則60歳まで引き出せないのに対し、NISAはいつでも引き出せます。二つを組み合わせ、老後まで動かさないお金はiDeCo、途中で使うかもしれないお金はNISA、と役割を分けておくと管理しやすくなります。

積み立てて増やすだけでなく、すでに約束されている公的年金そのものを増やす方法もあります。老齢年金は原則65歳から受け取りますが、受け取りを遅らせる「繰下げ受給」を選ぶと、1か月遅らせるごとに0.7%ずつ増え、75歳まで遅らせれば最大で84%多くなります。遺族年金という上乗せが期待できない同性カップルにとって、健康で長く働けるうちは受給を遅らせ、生涯の年金額そのものを底上げしておくのは、理にかなった選び方です。いつから受け取るかは、二人の貯蓄と働き方を見ながら決めてください。

備え2:生命保険で、パートナーに現金を残す

相続で家や預金がすぐに動かせなくても、生命保険の死亡保険金なら、指定した受取人へまとまった現金がまっすぐ届きます。残されたパートナーが当面の生活費や、相続税の支払いに使える現金を用意しておく——これが生命保険の役割です。かつては受取人を家族に限る保険会社がほとんどでしたが、いまは一部の生命保険会社で、同性パートナーを死亡保険金の受取人に指定できます。パートナーシップ証明書や、二人の関係を示す書類の提出を求められることが多いので、加入を考えるときは各社の条件を確認してください。

ひとつ正直に書いておきます。前章のとおり、同性パートナーが受け取る死亡保険金には非課税枠が使えず、相続税の2割加算もかかります。それでも、現金がすぐ手元に入るという安心は、他の手段では代えがたいものです。税の重さを織り込んだうえで、いくら残すかを決めておくのがよい向き合い方です。

備え3:公正証書遺言と任意後見で、「決める権利」を残す

お金を用意しても、それをパートナーに渡す道筋がなければ意味がありません。その道筋を作るのが遺言です。とくに、公証役場で作る公正証書遺言は、形式の不備で無効になりにくく、原本が公証役場に保管されるため、同性カップルには心強い選択です。パートナーへ財産を渡す「遺贈」の内容を、はっきり書き残しておきます。ただし、亡くなった人に親や子がいる場合、その人たちには最低限受け取れる遺留分があります。遺言を作るときは、遺留分にも配慮した配分にしておくと、あとの争いを避けられます。

もう一つ備えておきたいのが、老後に判断能力が衰えたときの守りです。認知症などで自分で財産を管理できなくなったとき、法律上の家族でないパートナーは、勝手に手続きを代わることができません。そこで、元気なうちに任意後見契約を公正証書で結んでおけば、いざというときパートナーを後見人として、財産管理や医療・介護の手配を任せられます。入院や手術の場面で「ご本人とはどういうご関係ですか」と問われても、こうした契約書があれば、二人の関係を示して話を前に進めやすくなります。あわせて、判断能力があるうちの手続きを託す財産管理委任契約、亡くなったあとの葬儀や諸手続きを託す死後事務委任契約を組み合わせると、人生の終盤をまるごと二人で支え合える形になります。

備え4:住まいを「老後も安心」の形にしておく

老後の暮らしの土台は、やはり住まいです。賃貸のまま高齢期を迎えると、保証人の問題や貸主の不安から、部屋を借りにくくなる場面が出てきます。持ち家であれば、その心配は小さくなります。二人で住宅ローンを組むなら、団体信用生命保険(団信)の存在も大きな意味を持ちます。ローンを借りた人が亡くなると残りの返済が免除される仕組みで、住まいをそのまま残す備えになります。ただし、誰がどの範囲で団信に入れるかは、ローンの組み方によって変わります。二人でどう組むかは、同性パートナー向け住宅ローンを徹底解説した記事で具体的に確認できます。

忘れてはならないのが、家の名義と相続のつながりです。二人でお金を出して買った家でも、名義や持分の決め方、そして遺言の有無で、片方に何かあったときの行き先が変わります。住まいの計画とお金・相続の計画は、切り離さずに一緒に考えてください。

年代別・二人で決めておくこと

備えは、早く始めるほど選べる手が増えます。とはいえ一度に全部はできません。年代ごとに、お金づくりと関係を守る手続きの二つを、無理のない順番で進めるのが現実的です。目安を表にまとめました。あくまで出発点として、二人の状況に合わせて調整してください。

年代 お金と資産形成 関係を守る手続き
30代 iDeCo・NISAで積み立てを開始。生活防衛資金も確保 受取人を指定できる生命保険に加入。二人の家計ルールを話し合う
40代 住まいの方針を決め、必要なら住宅ローンを検討。積立額を見直す 家の名義・持分を決める。合意契約など関係の書面化を始める
50代 退職後の収支を試算。iDeCoの受け取り方を考える 公正証書遺言を作成。任意後見契約の準備に入る
60代以降 年金の受給開始時期を選ぶ。資産の取り崩し計画を立てる 遺言・後見の内容を定期的に見直す。医療・介護の希望を共有

大事なのは、完璧な計画を一度で作ることではありません。30代なら積立と保険から、50代なら遺言と後見から、というように「今の自分たちに効く一手」を一つ選んで動くことです。書面を一枚作るたびに、二人の老後は確実に固くなっていきます。

制度は動き始めている。だから、今できる備えを

ここまで読んで、やることの多さに少し疲れたかもしれません。それでも思い出してほしいのは、これらの備えはすべて「自分たちで選べる」ものだということです。夫婦が制度に任せている安心を、同性カップルは一枚ずつ自分の手で積み上げていきます。手間はかかりますが、積んだものは確かに残ります。

そして、状況は確実に前へ動いています。2024年に最高裁が同性パートナーを事実婚と同様に扱い得ると判断したように、これまで閉じていた制度の扉が、少しずつ開き始めています。同性婚が実現すれば、遺族年金も相続も税の優遇も、多くがそのまま使えるようになります。その意味や課題は、同性婚を認めるメリットとデメリットを解説した記事でも整理しています。制度が追いつくその日まで、自分たちの老後を守る手立ては、今日から用意できます。

お金の話は、二人の将来をどう生きたいかという話でもあります。どこに住み、どんなふうに年を重ね、最後にどう支え合うか。その設計図を描く途中で、住まいのことで迷ったら、IRISはLGBTフレンドリーな不動産の窓口として力になれます。まずは、二人でひとつ、書面を作るところから。老後の安心は、その小さな一歩の積み重ねの先にあります。