同性婚の裁判が最高裁に上がった、というニュースを見て、日本っていつからこういう話をしているんだろう、と思った方もいるかもしれません。あるいは、学校の授業や職場の研修で説明を求められて、どこから話せばいいか迷っていませんか?
日本では、同性間の性行為が全国的な法律で罰せられた時期が一度だけあります。明治のはじめの約10年間です。それ以外の時代、同性を好きになること自体を犯罪とする法律は日本にありません。この事実は意外と知られていませんが、日本のLGBT史を読み解くうえで最初に押さえておきたいところです。
この記事では、江戸時代から2026年までを年表で一望したうえで、法律・条例・裁判という「制度の側」で何がいつ変わったのかを順番に追っていきます。数字と日付は、公的機関の資料と判決文で確認できたものを中心に載せました。文化や風俗としての同性愛の歩みは、IRISの日本における同性愛の歴史をまとめた記事のほうが詳しいので、あわせて読んでみてください。
日本のLGBT史は、明治の10年の禁止と2015年からの制度化で形が変わった
細かい出来事に入る前に、全体の流れを一度に見ておきます。江戸から現在までを並べると、大きな段差が二か所にあることが分かります。一つは明治初期、同性間の性行為が短期間だけ処罰の対象になった時期。もう一つは2015年以降、自治体と裁判所が続けて動き出した時期です。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 江戸時代まで | 男色・衆道が武家や寺社の記録に数多く残る |
| 1872年 | 鶏姦律条例が出され、男性同士の肛門性交が処罰の対象になる |
| 1882年 | 旧刑法の施行で鶏姦罪が消え、以後この種の規定は置かれていない |
| 1950年代 | 新宿二丁目などにゲイバーが集まりはじめる |
| 1971年 | 東郷健が参議院選挙に立候補し、同性愛者への差別撤廃を訴える |
| 1991年 | 動くゲイとレズビアンの会が東京都を提訴(府中青年の家事件) |
| 1994年 | 第1回レズビアン・ゲイ・パレード in 東京が開かれる |
| 1997年 | 東京高裁が都の対応を差別的取り扱いとして違法と判断 |
| 2003年 | 性同一性障害特例法が成立/都城市が国内初の条例を制定 |
| 2015年 | 渋谷区と世田谷区がパートナーシップの制度を始める |
| 2019年 | 同性婚訴訟が提訴される/茨城県が都道府県で初の制度を開始 |
| 2023年 | 理解増進法が施行/最高裁が特例法の生殖不能要件を違憲と判断 |
| 2026年 | 同性婚訴訟6件が最高裁大法廷に回付される |
表を眺めると、1882年から2003年までの約120年間、国レベルの法律がほとんど動いていないことが分かります。ここが日本のLGBT史の特徴の一つです。禁止もされない代わりに、制度の中に居場所もない。その状態が長く続きました。
江戸時代まで、男色は武家や寺社の記録に残るほど身近だった
日本の歴史をさかのぼると、男性同士の関係は隠されるどころか、記録としてはっきり残っています。武家の世界では衆道と呼ばれ、主君と小姓の関係が語られました。織田信長、武田信玄、伊達政宗といった名前が挙がるのは、それが後ろ暗いものではなく、記録に書かれるものだったからです。徳川将軍15代のうち複数にも、衆道の関係が伝えられています。
伊達政宗については、疑いを晴らすために自分の腕に傷をつけたと書いた手紙が伝わっています。真偽はともかく、そうした逸話が残ること自体が、当時の受け止め方を示しています。
武家だけの話でもありません。江戸や大坂には陰間茶屋と呼ばれる店があり、歌舞伎の若衆と客を結ぶ商売として成り立っていました。浮世絵や滑稽本にも男色を扱ったものが残っています。特別な人の秘め事ではなく、町の風俗として流通していたことが分かります。
ただし、寛容だったと言い切るのも正確ではありません。江戸時代の中期に入ると、主君より愛人を優先する、美少年をめぐって刃傷沙汰が起きるといった問題が続き、風紀を乱すものとして取り締まられる例も出てきます。身分や年齢の上下を前提にした関係が中心で、今の恋愛観とはかなり違う形でもありました。女性同士の関係については、当時の資料そのものが少なく、実態が分かりにくいままです。
明治5年の鶏姦律条例で、日本は一度だけ同性間の性行為を罰した

流れが変わるのは明治に入ってからです。文明開化で西欧の制度を取り入れる中、同性愛を罪や病とみなす当時の西欧の価値観も一緒に入ってきました。
1872年(明治5年)11月、鶏姦律条例が出されます。処罰の対象になったのは男性同士の肛門性交で、全国的な法律として同性間の性行為が罰せられたのは、この一度だけです。その後、1880年に公布された旧刑法にはこの規定が置かれず、旧刑法が施行された1882年1月1日をもって鶏姦罪は消えました。期間にして約10年です。旧刑法の草案に関わったフランスの法学者ボアソナードが、ナポレオン法典に同種の規定がないことを助言したことが背景にあったとされています。
条文がなくなったからといって、社会の見方まで戻ったわけではありません。明治後期から大正、昭和初期にかけては、同性愛を異常な性のあらわれとして扱う医学の言葉が輸入され、雑誌や新聞を通じて広まっていきます。江戸期の男色が芸事や風俗の文脈で語られたのに対し、この時期は病気として語られました。語り口が変わると、当事者が自分をどう理解するかも変わります。
そのまま第二次世界大戦に入り、産めよ殖やせよという国の方針のもとで、家族をつくらない生き方そのものが肩身の狭いものになりました。法律で禁止された10年より、この数十年の空気のほうがずっと長く影響を残したと言えます。
戦後の新宿二丁目とゲイ雑誌が、当事者の居場所と情報をつくった
1945年の敗戦後、言論の自由が広がり、戦前の権威が崩れたことで、都市の中に当事者が集まる場所が生まれます。1950年代には新宿二丁目や池袋、関西ではミナミや堂山あたりにゲイバーが集まりはじめました。1960年代には、男装の女性が働くレズビアン・バーも注目を集めます。
この時期に生まれたのは、遊び場というより情報の交換所です。インターネットのない時代に、同じ立場の人とつながれる場所は限られていました。誰がどこに住んでいるか、どんな仕事をしているかを問われずに入れる店が、事実上の相談窓口として機能していました。
1970年代に入るとゲイ雑誌の刊行が盛んになります。1971年に創刊された『薔薇族』は、書店で買える商業誌としてゲイ向けの情報を届けた最初期のもので、読者の投稿欄が全国の当事者をつなぐ役割も果たしました。店に足を運べない地方の読者にとって、紙の雑誌が唯一の接点だった時期です。制度は何も動いていない時期ですが、当事者の側が自分たちの言葉と場所を持ちはじめたという意味で、この30年ほどは後の運動の土台になっています。
1971年の東郷健の立候補で、当事者の主張が初めて選挙の場に出た
制度に向けた働きかけが表に出るのは1971年です。この年の参議院選挙に、東郷健が立候補します。同性愛者であることを公にしたうえで選挙に出た、最初期の例とされます。
東郷は、同性愛者だけでなく、障害のある人など社会の周縁に置かれた人への差別をなくすことを一貫して訴えました。当時タブーとされていた言葉をあえて自分から使い、政見放送でそのまま話したことで、良くも悪くも強い印象を残します。選挙には落選しましたが、「同性愛者が公の場で自分の言葉を話す」という前例がここでできました。
一方で、1980年代から90年代にかけてはHIVとエイズが世界的に広がり、同性愛への嫌悪が強まる時期にもなります。前に進む動きと、押し戻す力が同時に働いていました。
府中青年の家事件の勝訴が、司法に同性愛者への差別を違法と認めさせた
日本で初めてLGBTの人権が裁判で争われたのが、府中青年の家事件です。1990年、同性愛者の団体「動くゲイとレズビアンの会」(アカー)が東京都の宿泊施設を利用したところ、他の利用団体から嫌がらせを受けました。団体が施設側に対応を求めると、施設は逆に、次回以降の利用を断ると通告します。
団体は1991年2月に東京都を提訴しました。1994年3月、東京地裁は原告側の主張を認め、勝訴判決を出します。都はこれを不服として東京高裁に控訴しましたが、1997年9月16日、東京高裁は都の対応を差別的な取り扱いにあたる違法なものだと判断し、控訴を棄却しました。同月25日に都の教育委員会が上告を断念し、判決が確定しています。
高裁が書いた内容には、今読んでも重いものがあります。判決は、1990年当時は一般社会も行政も同性愛や同性愛者について無関心で正確な知識を持っていなかったとしたうえで、都の教育委員会を含む行政は職務を行ううえで性的少数者に配慮し、その権利利益を守る必要があり、無関心であったり知識がなかったりすることは公権力を行使する者として許されない、という趣旨を述べています。しかもそれは現在だけでなく1990年当時にも当てはまる、としました。知らなかったでは済まない、と行政に言い渡した判決でした。
この判決の意味は、勝ち負け以上のところにあります。それまで日本の司法は、同性愛者が差別されたという訴え自体をほとんど扱ってきませんでした。裁判所が公式に「これは違法な差別だ」と書いたことで、以後の運動と行政の議論に使える土台ができます。1994年8月28日には第1回のレズビアン・ゲイ・パレードが東京で開かれており、可視化と法廷闘争が並行して進んだ時期でもありました。
2003年の性同一性障害特例法で、戸籍の性別を変える道が初めてできた
2003年7月10日、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律が成立し、2004年7月16日に施行されました。家庭裁判所の審判を受ければ、戸籍上の性別を変えられるようになった法律です。国の法律がセクシュアルマイノリティを正面から扱った最初の例で、日本のLGBT史では同性婚の議論と並ぶ大きな節目にあたります。
ただ、この法律には厳しい条件が付いていました。とくに問題になったのが、3条1項4号の「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」という要件です。戸籍を変えたければ手術を受けるしかない、という構造になっていたためです。
この要件は20年後に否定されます。2023年10月25日、最高裁大法廷は裁判官15人の全員一致で、この規定が憲法13条に違反し無効だと判断しました。体への侵襲を受けない自由を根拠に挙げた判断として注目されました。差し戻された審理では、2024年に広島高裁が、外観に関する5号の要件についても手術が常に必要となるなら違憲の疑いがあるとしたうえで、性別の変更を認めています。
国内初の都城市条例は、2006年の再制定で性的指向の文言が消えた
2003年12月、宮崎県都城市が男女共同参画社会づくり条例を制定しました。条文に「性別又は性的指向にかかわらず」と書き込んだ国内初の条例で、自治体がセクシュアルマイノリティを名指しで人権の対象にした最初の例として知られています。
ところが、この条例は長くは続きませんでした。制定時から「同性愛を推進するものだ」という批判が寄せられ、市町村合併を経た2006年の再制定で、「性的指向」という文言は外され、「すべての人」という表現に置き換えられます。現在の都城市の男女共同参画のページにも、性的指向を名指しした規定は見当たりません。
同じ2003年には、尾辻かな子が大阪府議会議員に当選しています。ただし、同性愛者であることを公にしたのは当選から2年後の2005年8月で、著書での公表が日本の政治家として初めてのカミングアウトになりました。当選の時点から公表していたわけではない点は、押さえておきたいところです。
前に進んだ年が、そのまま定着の年になるとは限りません。都城市の例は、条例ができることと、それが維持されることは別だという事実を示しています。
2015年の渋谷区と世田谷区から、パートナーシップ制度は全国に広がった

2015年は、日本のLGBT史で最も引用される年です。この年の3月31日、渋谷区が男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例を成立させ、同性カップルにパートナーシップ証明書を出す仕組みを作りました。4月1日施行、証明書の交付は11月5日から始まっています。同じ11月5日、世田谷区も要綱にもとづく宣誓の受付を開始しました。
条例か要綱かという違いはありますが、どちらも法律上の結婚とは別のものです。相続や税の扱いは変わらず、効果は自治体のサービスや民間企業の運用に届く範囲にとどまります。それでも、住まいや病院の場面で二人の関係を説明する材料になるという点で、当事者の生活には直接効きました。制度で何ができて何ができないかは、パートナーシップ制度と結婚の違いをまとめた記事で整理しています。
ところで、あなたが暮らしている自治体に制度はあるでしょうか? その後の広がり方は、それ以前とは比べものになりません。2019年7月には茨城県が都道府県として初めて制度を導入し、2022年11月1日には東京都が宣誓制度を開始しました。全国の導入状況はMarriage For All Japan の導入自治体データベースで確認できます。10年で、日本に住む人の9割以上が制度のある地域に暮らす状態になりました。
制度そのものも形を変えています。2021年1月8日、兵庫県明石市がパートナーシップ・ファミリーシップ制度を全国で初めて導入しました。二人の関係だけでなく、一緒に暮らす子どもも家族として証明する仕組みです。医療機関で子どもの病状説明を受ける、保育園や学校の送り迎えをする。二人の話で終わらせず、子どもを含めた生活の単位で制度を組み直した点が新しく、その後ほかの自治体にも広がりました。
2015年前後から、学校と職場のルールにも性的指向と性自認が書き込まれた
パートナーシップ制度と同じ時期に、暮らしにもっと近いところでも文言が変わっています。自治体の制度ほど話題になりませんが、当事者が毎日過ごす場所のルールなので、影響する範囲はむしろ広いと言えます。
2015年4月30日、文部科学省が性同一性障害の児童生徒への対応について全国の教育委員会に通知を出しました。自認する性別の服装や制服を認める、職員用や多目的のトイレの使用を認める、書類上の呼称を工夫する、体育や部活動で別の方法を用意するなど、学校が取れる支援を具体例で示したものです。翌2016年4月には教職員向けの周知資料が出され、対象が性同一性障害だけでなく性的指向にも広げられました。それまで各学校の判断に委ねられていたことに、国の文書が一本通った形です。
職場のほうは2020年に動きます。改正された労働施策総合推進法、いわゆるパワハラ防止法が同年6月1日に施行され、その厚生労働省の指針に、性的指向や性自認をからかう言動が精神的な攻撃にあたること、本人の了解なく性的指向や性自認を他の労働者にばらす行為が個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)にあたることが書き込まれました。アウティングがハラスメントだと国の指針で示された意味は小さくありません。中小企業にも2022年4月1日から義務が及んでいます。
学校と職場は、制度が変わっても当事者にとっては逃げ場のない場所です。ここに文言が入ったことで、何かあったときに「ルール上どうなっているか」を指し示せるようになりました。
2019年に始まった同性婚訴訟は、2026年3月に最高裁大法廷へ回付された
制度が広がる一方で、結婚そのものは動きませんでした。そこで2019年2月14日、同性カップルが結婚できないのは憲法に反するとして、札幌・東京・名古屋・大阪の4地裁に一斉提訴が行われます。同年9月には福岡でも提訴され、「結婚の自由をすべての人に」と呼ばれる一連の訴訟が始まりました。
最初の判断は2021年3月17日の札幌地裁で、憲法14条に違反するとしました。その後の地裁判決は違憲、違憲状態、合憲に分かれましたが、高裁の段階では判断がはっきりと傾きます。
| 裁判所 | 判決日 | 結論 |
|---|---|---|
| 札幌高裁 | 2024年3月14日 | 違憲 |
| 東京高裁(一次訴訟) | 2024年10月30日 | 違憲 |
| 福岡高裁 | 2024年12月13日 | 違憲 |
| 名古屋高裁 | 2025年3月7日 | 違憲 |
| 大阪高裁 | 2025年3月25日 | 違憲 |
| 東京高裁(二次訴訟) | 2025年11月28日 | 合憲 |
6件のうち5件が違憲、1件が合憲という結果です。福岡高裁は、憲法24条2項と14条に加えて、幸福追求権を定めた13条についても違憲だと述べました。そして2026年3月25日、最高裁が6件すべてを大法廷に回付することを決めます。大法廷が開かれるのは憲法判断や判例変更が必要な場合で、最高裁が同性婚について憲法判断を示すのはこれが初めてです。統一した判断は2027年中にも出ると報じられていて、訴訟の進み方は弁護団と支援団体がまとめている訴訟のページで追えます。
ここで一つ、誤解されやすい点があります。この訴訟は国に損害賠償を求める形をとっているため、原告が勝っても、判決が出た瞬間に同性カップルが結婚できるようになるわけではありません。婚姻の制度を作るのは国会の仕事です。最高裁が違憲だと示せば国会は立法を迫られますが、そこから先は法律の議論に移ります。判決は終点ではなく、次の入口です。
なぜ日本で結婚の制度が動かないのか、その法的な背景は日本で同性婚ができない理由を解説した記事で詳しく書いています。世界の状況とあわせて見たい方は同性婚の現状をまとめた記事もどうぞ。
2023年に、特例法の違憲決定とトイレ訴訟と理解増進法が重なった
ここ数年でいちばん動いたのが2023年です。性的指向と性自認をめぐる出来事が、半年あまりの間に三つ重なりました。
6月16日、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律が成立し、6月23日に令和5年法律第68号として公布・施行されました。日本で初めての、性的指向と性自認を正面から扱う国の法律です。ただし内容は理解を広げることを目的としたもので、差別を禁じる規定は置かれていません。この点については、当事者団体からも不十分だという声が出ています。所管する内閣府のページで法律の本文と関連資料が公開されています。
7月11日には、最高裁が経済産業省のトランスジェンダー女性職員の訴えについて判決を出しました。執務階とその上下階の女性トイレを使わせないという扱いを認めた人事院の判定について、裁量権の逸脱・濫用にあたり違法だと判断しています。5人の裁判官全員が補足意見を書くという、かなり異例の判決でした。
そして10月25日が、先に触れた特例法の生殖不能要件に対する大法廷の違憲決定です。法律ができる、裁判所が法律を否定する、裁判所が行政の扱いを違法とする。方向の違う三つの動きが同じ年に並んだことが、この時期の特徴でした。
理解増進法はその後、具体化の段階に入りました。同法8条にもとづく基本的な計画が2026年6月16日に閣議決定され、国としての取り組みの方向が文書になっています。差別を禁じる規定がないという課題は残りますが、法律が一度できると、計画や指針という形で行政の仕事に落ちていく。その過程が今まさに進んでいるところです。
年表で見ると、約120年ほぼ止まっていた流れが2015年から一気に動き出した
最後にもう一度、年表を振り返ってみてください。1882年に鶏姦罪が消えてから2003年の特例法まで、国の法律はほぼ120年動いていません。その間に起きたのは、当事者が自分たちの場所と言葉をつくり、裁判所に訴え、少しずつ社会に見える形にしていく作業でした。
制度が目に見えて動き出すのは2015年からです。渋谷区と世田谷区に始まったパートナーシップの仕組みは10年で人口の9割超をカバーし、2019年に始まった訴訟は高裁の5件で違憲判断を引き出し、2026年に最高裁大法廷へ届きました。長く動かなかった時期のあとに、この10年で起きた変化の大きさが分かります。
それでも、国の法律という点では日本はまだ薄いままです。性的指向や性自認による差別を禁じる法律はなく、同性カップルの関係を法的に保障する仕組みもありません。G7の中で、同性カップルに婚姻またはそれに準ずる法的な地位を与えていない国は日本だけという状態が続いています。自治体の制度がこれだけ広がったのは、国が動かない分を現場が埋めてきた結果でもあります。
とはいえ、制度が追いついていない場面は今も残っています。相続、税、医療の同意、そして住まい。同性カップルが日々ぶつかる具体的な課題は、同性カップルの権利と課題をまとめた記事にあります。歴史を知ることは、いま自分が使える制度と使えない制度を見分けることでもあります。次に何が変わるのかを見るためにも、ここまでの流れを頭に入れておいて損はないはずです。







