「自分の性別に違和感がある。でも、これは性別違和なのか、それとも思い込みなのか」。そう考えて検索している人は、たぶん一度や二度ではなく、何度もこの問いを繰り返してきたのだと思います。制服やトイレの男女分けが嫌なだけかもしれない。「女らしく」「男らしく」と言われるのが嫌なだけかもしれない。同性が好きだからそう感じるだけかもしれない。考えれば考えるほど、自分の実感が信じられなくなっていきます。
私は空衣といいます。社会的に女性から男性へ性別を移行してきたトランス男性で、「女性」という性別に違和感があったから、生まれたときに割り当てられた性別で生きることをやめました。ただ、その違和感が「本物」だと最初から確信していたわけではありません。移行の途中で何度も「思い込みではないか」と自分を疑いました。
この記事では、性別違和という言葉の医学的な意味を2024年改訂の日本精神神経学会のガイドラインにもとづいて整理し、「思い込みかも」と感じやすい6つの場面と、その違和感が自分のものかどうかを見分ける3つの視点を、当事者の立場から書きます。診断の流れ、周りの人にできること、戸籍の性別変更をめぐる法律の現在地まで、この記事で分かるようにまとめました。
性別違和とは、割り当てられた性別と実感する性別がずれて苦痛がある状態を指す

私たちは生まれたときの身体の特徴から「男性」か「女性」に分類され、戸籍にもそう登録されます。その割り当てられた性別に「何か違う」という感覚を持ち続けている人を、広い意味でトランスジェンダーと呼びます。LGBTのTです。トランスジェンダーは病名ではなく、性のあり方を表す言葉です。
一方の「性別違和」は、もともと医学的な診断名です。アメリカ精神医学会が2013年に改訂した診断基準DSM-5で、それまでの「性同一性障害(gender identity disorder)」という病名が廃止され、「性別違和(gender dysphoria)」に改称されました。日本精神神経学会と日本GI学会がまとめた「性別不合に関する診断と治療のガイドライン(第5版)」は、この改称について、人格の根本であるアイデンティティが障害されているかのような呼び方をやめたこと、性別を男女二つに限らず中間的なものも含めたこと、割り当てられた性別と実感する性別のずれに苦悩を感じる人を広く含めたことが特徴だと説明しています。
もう一つ知っておきたいのが「性別不合」です。世界保健機関(WHO)の国際疾病分類ICD-11では、この状態は「性別不合(gender incongruence)」と呼ばれ、「精神及び行動の障害」の章から外れて、新設された「性の健康に関する状態」の章に移りました。つまり、ICD-11では精神疾患の扱いではなくなっています。日本の医療現場も2024年8月のガイドライン第5版から「性別不合」を正式な呼び方にしました。言葉を並べると次のようになります。
| 言葉 | 意味 |
|---|---|
| トランスジェンダー | 出生時に割り当てられた性別と異なる性別を生きる人、またはそれを望む人。病名ではない |
| 性別違和 | DSM-5の診断名。割り当てられた性別と実感する性別の著しい不一致があり、それに苦痛や生活上の困難が伴う状態。日常語では「性別に違和感がある」状態そのものを指すこともある |
| 性別不合 | ICD-11の診断名。割り当てられた性別と実感する性別の顕著で持続的な不一致。苦痛の有無を診断の条件にしていない。日本のガイドラインが現在使う呼び方 |
| 性同一性障害 | 以前の病名。DSM-5とICD-11のどちらでも廃止された。日本では戸籍の性別変更を定める法律の名前に残っている |
この記事では、読者が検索で使う言葉に合わせて「性別違和」と書きますが、医療の場では「性別不合」と呼ばれることを覚えておくと、診察や資料を読むときに戸惑わずにすみます。用語の変化の経緯は、トランスジェンダーとは何かを当事者が解説した記事にも書いています。
性別違和の原因は一つに決まらず、育て方や本人の弱さのせいではない
「なぜ自分はこう感じるのか」を突き止めたくなる気持ちは分かりますが、性別違和の原因は一つに決まっていません。生物学的な要因、心理的な要因、社会や文化の要因が絡み合って生じると考えられていて、研究は今も続いています。たとえばトランスジェンダーの人の遺伝子を網羅的に調べた2019年の研究のように、遺伝的な関与を探る報告はありますが、「この遺伝子があれば性別違和になる」と言えるものは見つかっていません。
はっきりしているのは、否定された説のほうです。親の育て方が悪かったから、本人の気が弱いから、周りに影響されたから、といった説明には科学的な根拠がなく、診断基準の改訂やICD-11での分類変更は、そうした見方から離れる方向で進んできました。原因を自分や家族の中に探して責めるより、いま感じている違和感がどういう種類のものかを見ていくほうが、先に進めます。
「思い込みかも」と感じる6つの場面は、性別違和とは別の話であることが多い

生活を変えなければやっていけないほどの性別違和がある人もいれば、違和感の正体が別のところにあった、という人もいます。「性別違和かもしれない、でも思い込みかも」と迷う状況には、いくつかの決まったパターンがあります。私自身の経験と、周りの当事者から聞いてきた話をもとに6つに分けます。
思春期の違和感は、男女の線引きが急に強まることへの反応である場合がある
いちばん多いのが「性別に違和感があるのは思春期の気の迷いでは」という不安です。第二次性徴で身体が変わり、制服が男女で分かれ、更衣室やトイレが分けられ、思春期は何かにつけて性別を意識させられます。それまでは性別に関係なく好きな服を着て、好きな一人称で話して、好きな友だちと遊べていたのに、突然「あなたは女子」「あなたは男子」と線を引かれる。その線引きが嫌だという感覚と、自分の性別そのものへの違和感は、似ていますが別のものです。
ジェンダー研究者のレイウィン・コンネルは『ジェンダー学の最前線』で、男女の性差はほとんどなく「性類似」と呼ぶべきだと述べています。にもかかわらず、思春期には男女の差が実際より大きく扱われます。その扱いへの反発なのか、身体が変わっていくこと自体がつらいのかは、分けて考える価値があります。後者なら、性別違和の可能性が高まります。
同性と仲良くできないのは性別の問題ではなく、気の合う相手の問題である
同性の集団になじめず浮いてしまうために、自分の性別が間違っているのではないかと考える人がいます。けれども、同性として割り当てられた人全員と気が合うわけではありません。気の合う人も合わない人もいて、それは性別で決まりません。
ただ、学校や職場のように男女で分けられることが当たり前の場所では、同性の輪に入れないことが「自分の居場所が間違っている」という感覚に育っていくことがあります。身近な同性の大人、つまり女性なら母親、男性なら父親との関係が悪いときに、「こんな人にはなりたくない」という気持ちが自分の性別への拒否感に変わることもあります。この場合、嫌なのは特定の人や集団であって、性別そのものではありません。
同性が好きなことと性別違和は別のもので、恋愛は決め手にならない
逆に、同性の相手に恋愛感情を抱いたことで、自分の性別に違和感を持つ人もいます。「私は男性で男性が好き。本当は女性だったのではないか」というような状況です。同性愛は同性愛、性別違和は性別違和で、別のことです。ただ、どちらか一方の言葉しか知らないと、先に知った言葉で自分を解釈してしまうのはよくあることです。
好きな人に恋愛対象として見てもらいたいから、自分の性別を変えたいと思うこともあるかもしれません。これは「男性は女性を好きになるもの」「女性は男性を好きになるもの」という異性愛の規範があるから生じる発想で、性別違和とは違います。恋愛が性別違和に気づくきっかけになることは十分ありますが、恋愛相手の性別が、あなたの性別を決めるわけではありません。性的指向と性自認の違いは、トランスジェンダーとゲイの違いを解説した記事で丁寧に書いています。
「らしさ」が嫌なのは規範への違和感で、性別そのものへの違和感とは別である
性別違和と混同されやすいのが、「男らしさ」「女らしさ」の押しつけが嫌だという感覚です。性別を理由に振る舞いを強制されず、自分らしく生きたいと思うのは当然のことですが、これは性別違和とは別の事柄です。もちろん、両方が同時に起きることはあります。
たとえば「スカートが嫌」というとき、「スカートという女らしさを押しつけられるのが嫌」なのか、「本当は男性なのに女性として見られるのが嫌」なのかで、意味が変わります。後者のように「本当は別の性別なのに、違う性別で見られるのが嫌」なら、性別違和が強い状態だと思います。逆に、性別違和のある人が「男らしさ」や「女らしさ」を積極的に引き受けたがることもあります。トランス女性で、「男らしさ」は無理だったけれど「女らしさ」は喜んで身につけたい、という人は珍しくありません。シス女性の中に「女らしくありたい」人がいるのと同じで、らしさの存在そのものを嫌がっているわけではないのです。
異なる性別のファッションを楽しみたいだけの場合もあり、性別違和とは限らない
性別違和かもしれないと考える人の中には、割り当てられた性別とは別の系統のファッションを楽しみたい、という人もいます。本来、服を選ぶときに性別は関係ないはずですが、現実にはメンズとレディースで売り場が分かれ、性別を意識させられる機会が多いです。
性別違和があるからこそ、実感する性別に合ったファッションをしたい人もいれば、自分の性別に迷いはなく、単純に違う系統の服が好きな人もいます。着たい服が何かは、性別違和かどうかを決めません。どちらか分からなくなったら、服を脱いだ後の自分、鏡の前の身体や、名前を呼ばれたときの感覚のほうに目を向けてみてください。講談社の小説『スペシャルQトなぼくら』は、この迷いを物語として追体験できる一冊です。
男女どちらにもしっくりこないなら、Xジェンダーやノンバイナリーの可能性がある
日本では公的書類の性別欄は「男性」か「女性」の二つしかなく、トランスジェンダーというと「逆の性別になる人」というイメージが先に立ちます。そのため「トランスジェンダー男性」か「トランスジェンダー女性」しかいないと思われがちですが、性別は二つだけではありません。
性別違和が強い人の中には、男女どちらかに当てはめようとするとしっくりこないのに、「男女どちらでもない」と考えると腑に落ちる人がいます。そうした人を指す言葉が「Xジェンダー」や「ノンバイナリー」です。「今の性別ではない、でも逆の性別でもない」という違和感を持っているなら、思い込みではなく、このどちらかである可能性を考えてみてください。当事者の実感はXジェンダーとは何かを当事者が解説した記事で触れられます。
思い込みかどうかは、圧力のない自分・老いた自分・診断の3つで確かめる

6つの場面を読んで「自分はどれにも当てはまらない」と感じた人も、「全部当てはまる気がする」と感じた人もいると思います。ここからは、違和感が自分自身のものかどうかを確かめるために、私が実際に使ってきた3つの見方を紹介します。
誰にも何も言われなくても残る違和感は、自分自身のものである
性別そのものに違和感があるのか、性別に不満はないけれど他人からの扱われ方がつらいのか。この二つは似ていますが、生き方を考えるうえで大きな違いがあります。
「男子」として育つと、「男らしくあれ」「弱音を吐くな」「かわいい服は変だ」「男同士で親しいのはおかしい」といった圧力がかかります。「女子」として育つと、「女らしくあれ」「おしとやかにしなさい」「化粧は女性のマナー」「男性を立てなさい」といった圧力がかかります。これらはすべて外から来る期待や偏見で、あなたの性別そのものとは別のものです。
そこで想像してみてください。もし誰も「男なのに」「女なのだから」と言わなかったら、あなたは今の性別をおかしいと思わずにすんだでしょうか?そうだとしたら、あなたが疑っているのは他人が押しつける「らしさ」であって、自分の性別ではないのかもしれません。反対に、誰にも何も言われない部屋で一人でいても、鏡に映る身体や、自分の名前や、書類の性別欄に違和感が残るなら、それは外からではなく内側から来ている違和感です。
年をとった自分の姿を想像すると、どちらの性別で老いたいかが見えてくる
年をとった自分の姿を想像してみるのも一つの手です。そのときあなたは、おじいさんとおばあさんのどちらの姿が自然に浮かびますか?それとも、性別を感じさせない人として老いていきたいでしょうか。私の場合は、おじさんになっていく未来を楽しみに描くことができました。それが移行を決める大きな材料になりました。
ただし、性別違和が強いと、そもそも将来像が描けないことがあります。トランス男性の杉山文野さんは、著書『元女子高生、パパになる。』で「30歳で死のうと思っていた」と振り返っています。年をとった自分がまったく想像できないなら、それは「思い込み」の証拠ではなく、今の性別で生きる未来を身体が拒んでいるサインかもしれません。その場合は一人で判断せず、精神科やジェンダー外来か、後半で紹介する相談窓口につないでください。
セルフチェックは目安で、確定できるのは精神科医の診断だけである
客観的に見てみたい人は、セルフチェックを使ってみてもよいでしょう。医療の場で使われる質問票に「ユトレヒト性別違和尺度」があり、「自分の身体の性別が嫌だ」「割り当てられた性別として扱われると苦痛だ」といった12の項目に5段階で答える形式です。DSM-5の成人の基準も、実感する性別と身体の性徴の不一致、性徴から解放されたいという願い、別の性別の性徴を望むこと、別の性別として扱われたいことなどのうち2つ以上が6か月以上続き、それによって苦痛や生活上の支障があるか、という枠組みです。
ただ、セルフチェックで「性別違和だ」と確定させることはできません。答えは「目安」に過ぎず、確定できるのは面談を重ねた精神科医だけです。それに多くのチェックは「男性」か「女性」しか想定していないので、Xジェンダーやノンバイナリーの人にはかえって答えにくいこともあります。基準の詳しい内容は性同一性障害の診断基準をDSM-5とICD-11から整理した記事で確認できます。
診断は精神科医1名で受けられ、身体の治療に進むときは2名の意見書が要る
「思い込みかどうか、専門家に見てもらいたい」と思ったら、受診先は精神科や心療内科、あるいは大学病院などのジェンダー外来です。前出のガイドライン第5版は、性別不合が精神疾患ではなくなった後も、実感する性別と割り当てられた性別の不一致の確認や、ほかの精神疾患との区別が必要だという理由で、当面は精神科医が診断にあたるのが妥当だとしています。診察では、生い立ちから現在までの性別についての体験を時間をかけて聞かれます。「治療を受けるか迷っている」段階で受診してかまいません。
第5版で変わった点があります。第4版までは身体の治療に進む前に精神科医2名の診断が一致することが必要でしたが、診断そのものは1名で可能になりました。そのうえで、ホルモン療法や手術に進むときは、精神科医2名、または精神科医1名と公認心理師・臨床心理士1名が意見書を作り、医療チームで検討します。戸籍の性別変更のための診断には、引き続き2名の精神科医の診断の一致が求められます。流れを整理すると次のとおりです。
| 段階 | 内容 | 費用の扱い |
|---|---|---|
| 診断 | 精神科医1名が面談を重ねて診断。ほかの精神疾患との鑑別と、染色体やホルモン検査による身体の性別の確認も行う | 保険診療 |
| ホルモン療法 | 2名の意見書を経て開始。原則18歳以上で、条件を満たせば15歳以上(未成年は親権者の同意が必要) | 自費診療 |
| 手術 | 認定施設で実施。ホルモン療法と併用すると混合診療となり保険が使えない | 条件を満たせば保険診療 |
| 戸籍の性別変更 | 精神科医2名の診断が一致した診断書を家庭裁判所に提出 | 裁判所の手数料など |
診断書を得るまでにどれくらいかかるかは、FtM当事者が性同一性障害の診断書を得るまでの期間を記録した記事が参考になります。
思い込みかもしれなくても、今の性別で生きられないなら移行を選ぶ人はいる

何をもって「思い込み」とするかは、難しい問題です。当時は「自分には性別違和がある」と本気で信じていたのなら、「思い込みだった」と結論づけられるのは未来の自分だけだからです。ただ、過去ではなく未来に目を向けると、「性別を変える」という決断の考え方が変わってきます。
過去に目を向けると、かつての「性同一性障害」の考え方では、幼いころから「自分は本当は男だ」「本当は女だ」とはっきり分かっていて、身体だけがそれと違う、という人が想定されていました。強い男女二元論が前提だったのです。けれども、性別に違和感を持つ人がそういう人ばかりとは限りません。「本来の性別」がはっきり分かるわけではないけれど、「これ以上今の性別では生きていけない」という切実さから移行に踏み出す人もいます。未来の自分がどうありたいかに視点を置いた決断です。
私もその一人でした。「本当は男性なのか」と問われれば分からなかったし、正直、興味もありませんでした。ただ、これ以上「女性」としてやっていけないことだけは自明でした。身体の特徴と周りからの扱いが「男性」に変わっていく覚悟はあったし、おじさんになる未来は楽しみでした。だから性別を変えました。結果として、男性である状況に納得できるようになりました。最初から正しく選べたわけではありません。そういう例もある、ということです。
一つだけ、はっきりさせておきます。何かの利益を得るために性別違和と診断されることはまずありません。「女から男になれば仕事で有利だから」「女性に囲まれたいから女になりたい」といった動機は、その人個人の欲望であって、性別違和とは無関係です。診断の過程では、そうした動機は性別違和とは区別して考えられます。
周りに性別違和で悩む人がいるなら、否定せず聞き、本人の許可なく話さない

家族や友人、生徒から性別の違和感を打ち明けられたら、まずは本人が感じている違和感を否定せず、話を聞くことです。本人もすぐにうまく言葉にできるとは限りません。「思い込みじゃないの」と返したくなっても、それは本人が何百回も自分に向けてきた言葉で、あなたから聞きたい言葉ではありません。
聞く側にできることは、ほかにもあります。トランスジェンダー当事者の書いたものを読む、性別違和に対応するクリニックを調べておく、本人が呼ばれたい名前があればそれを使う。制服の変更を求めて生徒たちが署名を集めた例もあります。服装の選択肢が広がることは、性別違和のある人だけでなく、シスジェンダーで「らしさ」に窮屈さを感じている人にも役立ちます。
そして、必ず守ってほしいことが一つあります。本人の許可なく「あの人は性別違和があるらしい」と誰かに話さないことです。誰かに伝える必要があるときは、どこまで伝えてよいかを本人に確認してください。本人の同意なく性のあり方を第三者に明かすことをアウティングといい、当事者が最も恐れることの一つです。本人にも周りの人にも、話せる相手がいないときは、よりそいホットライン(0120-279-338)が使えます。音声ガイダンスで4番を選ぶと、性別の違和感や性的指向についての専門の相談員につながります。
性別の違和感は変わることがあり、身体の治療には元に戻せないものがある

性別違和を強く持っていた人でも、実際に生活を変えてみたら、それはそれで違和感が募った、ということはあり得ます。一度性別を変えてみたけれど、また元に戻す人もいます。それがその人の自己認識に合うなら、何より大事なことです。子どもについても、前出のガイドライン第5版は、小児期の性別への違和感が成人期まで持続するとは限らないことに注意すべきだと書き、その一方で不登校や自傷行為が見られることもあるため、違和感を受け止めて表現できる環境を用意するよう求めています。「変わるかもしれないから放っておく」でも「変わらないはずだから急ぐ」でもなく、受け止めながら見守る、という姿勢です。
ただし、身体の治療には取り返しのつかないものがあります。FtMの場合、男性ホルモンの投与で一度低くなった声は低いままです。手術で胸を取ったり、子宮や卵巣を摘出したりすれば、元には戻せません。そうした不可逆な変化があることを知ったうえで、自分が今より生きやすくなる選択をしてほしいと思います。迷いが残るうちは、可逆な段階、たとえば服装や髪型、名前の呼ばれ方、生活上の性別を変えてみるところから始めても、遅すぎることはありません。
戸籍の性別変更は手術要件が崩れ、法律の作り直しが議論されている
性別違和が「本物」だと分かったあと、多くの人が意識するのが戸籍の性別変更です。日本では2004年に施行された「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(特例法)が要件を定めていて、長らく生殖腺を取り除く手術と、外性器の見た目を変える手術が事実上求められてきました。この前提が、ここ数年で大きく崩れています。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2023年10月25日 | 最高裁大法廷が、生殖能力をなくすことを求める「生殖不能要件」を憲法13条違反で無効と決定。手術を受けるか性別変更をあきらめるかという過酷な二者択一を迫るもので、制約の程度は重大だと判断した |
| 2024年7月10日 | 広島高裁が、外性器の見た目に関する「外観要件」に違憲の疑いがあるとして、手術なしで男性から女性への性別変更を認めた |
| 2025年9月19日 | 札幌家裁が外観要件を違憲で無効と判断。医学の進歩により身体治療が必要とは限らないと指摘した |
| 2025年10月31日 | 東京高裁が、高裁として初めて外観要件の適用を違憲と判断し、女性への性別変更を認めた。国会に法改正の議論を促した |
| 2026年6月11日 | 日本学術会議が、特例法を廃止して性別変更の手続きに特化した新法を作るよう国会に求める見解を公表 |
法律の条文はまだ書き換えられていませんが、裁判所は「手術をしなければ性別を変えられない」という運用を次々に否定し、国会には廃止と新法の制定を求める提言が出ています。今から診断や移行を考える人にとって、「性別を変えるには必ず手術が要る」という前提は、もう固定されたものではありません。2023年の最高裁決定の中身は生殖機能をなくす要件を最高裁が違憲と判断したニュース記事で詳しく扱っています。
思い込みでもそうでなくても、自分の性別を引き受けて生きるのは自分自身である

今は、性別違和を抱える当事者の記録や、「そうかもしれない」と考える人たちの情報に、以前よりはるかに触れやすくなりました。だからこそ、読めば読むほど自分の立場が分からなくなる、という不安もあると思います。性別違和は、割り当てられた性別と実感する性別のずれに苦痛が伴う状態のことで、思春期の線引きへの反発や、同性が好きなことや、「らしさ」への窮屈さとは別のものです。他人の圧力を外しても違和感が残るか、年をとった自分をどちらで思い描くか、そして精神科医の診断。この3つを通せば、思い込みかどうかは、少しずつ見えてきます。
それでも最後に自分の性別を引き受けて生活していくのは、自分自身です。思い込みだったと後から分かっても、それは失敗ではなく、自分を知る過程の一部です。後悔しない性のあり方を、あなたのペースで選んでいってください。








